【論説室の窓】竹川正記/毎日新聞論説委員
歴代最長の安倍前政権が積み残した課題のエネルギー政策見直しにどう決着をつけるか。主要国が脱炭素化を進める中、本格政権を目指す菅義偉首相の覚悟が問われそうだ。
「世論の支持率を従来のように気にせずに済む政権末期のタイミングで、ようやくエネルギー政策の見直しに動き出したか」。梶山弘志経済産業相が7月、旧式の石炭火力発電所の廃止や、洋上風力発電の導入など再生可能エネルギー拡大方針を打ち出した際、そう取材意欲をかき立てられた。
7年8カ月にわたって「政治一強体制」を謳歌した安倍晋三前政権。だが、それまでエネルギー政策の見直しには全く踏み込んでこなかった。温室効果ガスを多く排出する石炭火力に依存し続ける日本は、温暖化問題の深刻化に危機感を高める国連や欧州各国から「石炭中毒」などと激烈な批判を浴びていた。
梶山経産相はそんな国際社会の厳しい目も意識して「脱炭素化シフトを進める」とアピールした。だが、将来に向けて原発をどう位置付けるかという肝心の点は不明なままだった。2011年の東日本大震災以降、先送りされてきたこの問題に安倍前首相が決着をつけるなら、「政治的なレガシー」になり得ると見られた。
世界第5位の温室効果ガス排出国の日本はパリ協定で約束した30年度の排出削減目標(13年度比で26%減)の引き上げを迫られている。これに対応するには、電源の脱炭素化を一段と加速させる必要がある。
原発継続の経産省シナリオ 安倍前首相の退任で頓挫
一方で、経済活動の根幹を成す電力供給の安定化を維持するには、再エネ拡大だけでは限界があり、同じく脱炭素電源である原発を一定程度、使い続けることが現実的と指摘されてきた。ただし、東京電力福島第一原発事故以降、反原発世論が根強い中、新増設は言うに及ばず、既存の原子炉のリプレースを認めるだけでも政権支持率の急落を招くリスクがある政治的に厳しい決断だ。
安倍前政権は当時、任期があと1年余りと迫り、支持率の低下を以前ほどは気にしなくて済む立場にあった。この機に乗じて、脱炭素化を理由に原発活用方針を明確に打ち出してもらうというのが、経産省が期待したエネルギー政策見直しのシナリオだったはずだ。しかし、持病の悪化で安倍氏が首相を突然退任した結果、このシナリオははかなくも頓挫した。
新型コロナウイルス禍の克服と経済再生を掲げる菅首相は、就任早々から行政のデジタル化や地銀再編など看板政策の早期実現にフル稼働の様子だ。留任させた梶山経産相には再編も含む中小・零細企業の再生策を検討するように早速指示している。他方、菅首相はエネルギー・環境政策をどうするかにはほとんど言及してない。
菅首相の自民党総裁の任期は安倍前首相の残余期間である来年9月までだ。「ショートリリーフ」に甘んじたくないのであれば、来秋の総裁選を再びクリアする必要がある。そのためには、来年10月の衆院議員の任期満了までに解散・総選挙に打って出て勝利することが必須だ。
来秋までの解散にらみ エネルギー政策は沈黙?
前に触れた安倍前首相の政権末期時代と全く逆で、菅首相は政権支持率に敏感にならざるを得ない立場にあると言える。このため、霞が関や永田町では「世論の大きな不興を買いかねないエネルギー政策の見直し、とりわけ原発の位置付けの議論は先送りしたいのが本音ではないか」との見方もくすぶっている。
しかし、原発の位置付けが固まらない限り、日本は新たな温室効果ガス削減目標の設定も含めたエネルギー・環境戦略の策定・実行がままならない。
現行の第5次エネルギー基本計画では30年度に再エネ比率を22~24%、原発比率を20~22%などとする電源構成目標(エネルギーミックス)を掲げているが、これをどのように変えるのかが示されないと国の政策も企業の経営計画も立てられないからだ。
日本が足踏みを続ける間に各国は相次いで脱炭素時代をにらんだ野心的なエネルギー・環境戦略を打ち上げている。
欧州委員会は50年までに温室効果ガス排出量を域内全域で見て実質ゼロに減らし、気候変動に与える悪影響を取り除く「気候中立」目標をぶち上げた。巨額の基金も創設し、コロナ禍からの経済復興に絡めて再エネ拡大や水素技術開発など、脱炭素化を加速させるチャレンジングな内容だ。
世界の温室効果ガス排出量の約3割を占める中国も果敢だ。習近平国家主席は先の国連総会演説で60年までに二酸化炭素排出量を実質ゼロにする「炭素中立」目標を表明した。電源の約6割を石炭火力に依存するだけに実効性を疑う声もある。
ただ、共産党一党独裁体制の下、世論の反発を恐れずに原発拡大も可能なだけに侮れない。米中摩擦が激化する中、中国は温暖化問題で「責任ある大国」をアピールし、欧州への接近をはじめ外交面での影響力拡大を狙っている。それだけに言いっ放しでは終わらせないだろう。
さらに、トランプ政権がパリ協定を離脱した米国も11月の大統領選で民主党のバイデン氏が勝利すれば、脱炭素化へ急転換しそうだ。ポストコロナの経済再生策として「ビルド・バック・ベター(より良く立て直す)」を掲げるバイデン氏は、2兆ドルの環境投資などグリーン政策による雇用創出と経済活性化を目指している。パリ協定復帰も明言している。
米欧中は温暖化対策の国際交渉を舞台に脱炭素時代のグローバル外交・経済覇権を競うグレートゲームを演じようとしている。そんな中、日本がエネルギー・環境戦略を定められないままでは、このゲームに入れず、外交や経済面での大きな打撃を被りかねない。
来年11月にはパリ協定の目標達成の方策を議論する国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)が予定される。その時までに菅首相は原発の位置付けも含めたエネルギー・環境戦略の見直しに踏み切れるか。国際社会に影響力を発揮できる本格政権を目指す覚悟が問われる局面だ。