【羅針盤】塩沢文朗/元内閣府戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」サブ・プログラムディレクター
2050年のカーボンニュートラル目標実現に大きな役割を果たす水素エネルギー。
水素エネルギーの中でアンモニアが重要な役割を担う理由と日本の取り組みとは?
『カーボンニュートラル実行戦略 』(エネルギーフォーラム刊) の内容紹介の最終回となる今回は、「水素エネルギーとアンモニア」のポイントと、2050年のカーボンニュートラル(CN)目標の達成に向けて必要となる、分野を超えた取り組みについて述べたい。
水素エネルギーとアンモニア その多様性と評価・選択
本書の第三章で読者にお伝えしたかったことの第一は、「水素エネルギー」の多様性と、それにマッチした活用の重要性である。
水素エネルギーの「多様性」に関する説明で、筆者が最も優れていると思うものは、国際エネルギー機関(IEA)による次の説明(第三章でも引用)である。
「水素は、電気と同様にエネルギーを運ぶ媒体であり、それ自体はエネルギー源ではない。水素と電気が大きく異なるのは、水素は分子による(化学)エネルギーの運搬媒体であり、(電気のように)電子によるエネルギー運搬媒体ではないことだ。この本質的な差が、それぞれを特徴づける。分子だから長期間の貯蔵が可能であり、燃焼して高温を生成することができる。また炭素や窒素等の他の元素と結合して、取り扱いが容易な化合物に変換することができる」
それゆえ、水素エネルギーの利用においては、水素エネルギーの多様性を踏まえ、その製造・輸送、利用環境、用途にマッチした水素エネルギーの形を選択することが重要となる。
日本のエネルギーシステムの脱炭素化の重要かつ喫緊の課題は、電力の脱炭素化である。日本のように、国内の再エネ資源が量的にも質的にも限られ、かつ周辺の国や地域との間を結ぶ送電線やパイプラインがないところでは、電力の脱炭素化のための再エネを、再エネ資源に恵まれた地域から水素エネルギーの形で導入することが必要となる。加えて発電用のエネルギーとしては、大量のエネルギーを安定的かつ安価に供給できるものでなければならない。
こうした理由で、日本では水素エネルギー密度が高く、大量・長距離輸送を可能とするインフラ技術が既に整っているアンモニアが、水素エネルギーの重要な導入手段になる。さらにアンモニアは、水素に再転換することなく、そのままCO2フリーの発電用燃料として利用できることが戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「エネルギーキャリア」の成果で明らかにされ、アンモニアの火力発電燃料としての魅力が高まった。
一方、国内の再エネの地産地消の手段としての水素エネルギーは、大量に長距離を輸送する必要はないので、水素のままでの利用が合理的な選択だ。また燃料電池車の燃料など、水素である必要がある用途もある。こうした水素としての利用はもちろん重要なのだが、これらの用途向けの必要エネルギー量は、発電燃料向けの量に比べて数桁小さく、2050年のCN目標の達成に果たす効果のスケールは大きくない。
電力分野に加えて、鉄鋼業や石油化学など、産業分野の脱炭素化も重要な取り組み課題の一つだ。この分野でも、その脱炭素化には水素エネルギーが大きな役割を果たすが、導入方法については引き続き検討が必要である。
このように「水素エネルギー」は、水素やアンモニアといった個別の化合物で見るべきではなく、その全体を見て、導入促進のための政策内容を検討することが重要である。
水素エネルギー利用の多様性
第二は、水素エネルギーをはじめとする「エネルギー脱炭素化技術」の評価・選択に当たって持つべき視点の重要性である。
本書では、「エネルギー脱炭素化技術」の評価・選択の視点として、評価対象技術の①脱炭素化効果のスケール、②成熟度、③経済性、④ライフサイクルで見た脱炭素化の効果―の四つを挙げた。
アンモニアは、本書で科学的かつ定量的に論じたとおり、これらの視点から評価して電力の脱炭素化という、CN目標の実現に大きな役割を果たすことのできるエネルギー脱炭素化技術である。
他方、「エネルギー脱炭素化技術」として政府が取り上げ、支援を得て研究開発が進められているものの中にも、これらの視点から見て、その妥当性、実用化の可能性に疑問を感じさせるものがある。時おりマスコミなどで喧伝される「夢の」脱炭素化技術に至っては、その実装可能性だけでなく、技術の科学的合理性にすら、疑問符を付けざるを得ないようなものもある。
前述の産業分野の脱炭素化を含め、新たな脱炭素化技術の開発が必要となる技術分野もあるが、こうした現状に鑑みるならば、エネルギー脱炭素化技術の開発に当たっては、上記の四つの観点から個々の技術テーマの妥当性をしっかり評価する必要がある。
また研究開発においては、ステージ管理を厳格に行うことによって、時間管理と技術選択を的確に行っていく必要がある。
技術分野を超えた取り組み 新たな産業群の創成の基盤
2050年までに「エネルギー脱炭素化技術」を実装し、その効果を享受するには、新技術の開発に許される時間的、資金的余裕はもうあまりない。
CN目標を達成するための取り組みについては、本書の「おわりに」で触れたように、異なる技術分野で使われる用語や単位の違いなどにより、異分野の専門家の間での情報交流や議論が円滑に進まないのが現状だ。この状況を改め、技術分野を超えた取り組みを促進する環境を整えなければならない。
なぜなら、CN目標の実現には、幅広い学問分野の知識を総動員するとともに、さまざまな技術、産業分野の関係者の英知を結集して、社会的にも経済的にも実現可能な方策を選択していかなければならないからだ。そして、そうした環境は、今後のCN社会の経済力の源泉となる、エネルギー、素材、機械、電子・情報等といった、従来の産業の枠を超えた新たな産業群の創成の重要な基盤となるに違いない。
い。
しおざわ・ぶんろう 1977年横浜国立大学大学院修了、通産省(当時)入省。経産省、内閣府で大臣官房審議官を務め、2006年退官。2008~2021年住友化学に勤務。