
丸紅に勤務し、ロンドン駐在時代には洋上風力発電のプロジェクト・マネジメントを担当。
海外のエネルギー畑を歩んできただけに、日本が進むべき方向に確信を持っている。
福岡県立修猷館高校から慶応大学に進学。経済学部を選び、世界を股にかけて活躍するビジネスマンに憧れた。卒業後、「国際的な金融の知識が身につく」と、東京三菱銀行(当時)に入行した。海外の支店長になることが目標だったが、UFJとの合併で海外人事が凍結になった。夢を現実にする方法を模索するうちに、大手商社丸紅の中途採用募集を知る。海外で発電所をつくるプロジェクトに魅力を感じ、入社。そこからが、エネルギー畑での仕事の始まりになる。
丸紅では7年間勤務。一貫して電力部門、独立系発電事業者(IPP)の一員として汗をかいた。プロジェクトに主に携わったのは風力発電所。日本列島各地に赴き、電力会社との交渉に奔走した。当時はまだ固定価格買い取り制度(FIT)が始まっていない時代で、メーカーとのやり取りや地元調整など、風力発電を社会に受け入れてもらう苦労は大きかった。だが、その苦労が「再エネの普及には地域共生が最も大切だ」との思いを強くさせた。地域に「寄り添う」だけでは不十分。具体的に利益を還元するなど、地域社会に対して「責任」を最後まで持つことが、電源開発に取り組む者の使命だと悟った。
丸紅での勤務生活後半には、念願かなって英国・ロンドンに駐在した。デンマークの大手総合エネルギー会社であるDONG社(当時)の権益を取得して17万2000kWの発電容量を有するガンフリート・サンズ洋上風力発電のプロジェクト・マネジメントに挑んだ。当時、日本企業が商業運転中の洋上風力発電事業へ出資するのは初めてだった。日本にはまだなじみがなかった同事業だが、周囲を海に囲まれた日本には大きな開発余地があると思っていた。実際、欧州という風力事業の先進市場で一プレイヤーとして関わったことは、後の議員生活においても非常に有意義な経験だった。このまま、事業会社で日本経済の成長に貢献する人生もよいかもしれない―。そう思っていたこともあったが、脳裏に焼き付いて離れない出来事があった。
ロンドンで大震災を「体験」 日本の将来に強い不安感
それが東日本大震災である。当時、DONG社との最終交渉のため、出張でロンドンにいた。朝起きると、家族からの電話が何十件も入っていた。
2011年3月11日は、日本のエネルギー政策にとって転換点と言うべき日になった。ロンドンから、二転三転する母国の様子を見ていて、居ても立っても居られなくなった。また、震災と歩を合わせるように、日本の海外でのプレゼンスがどんどん小さくなっていったことを実感していた。ロンドンのピカデリーサーカスのメインの看板は、トヨタやパナソニックからサムソンやLGに替わっていった。この国はどうなってしまうんだ―。日本の将来に対する不安だけが募っていた。
「誰かほかの人にかじ取りを任せて、この国が沈没してしまうくらいなら、自分でやってみよう」。政治家になることを決意した。丸紅時代、ロンドンにいて痛感したのが、ルールメイキングの重要性だ。事業会社は、利益のために発電事業に参入する。それも大切なことだが、政治家になって仕組みを作る方が、大きな意味での国益につながると感じていた。
13年7月、参議院議員選挙比例代表に初当選する。選挙の時には、風力発電所の地元交渉を行っていた際に出会った地域の人たちにも応援をしてもらった。誠実な仕事ぶりが報われた瞬間だった。
所属する公明党では、総合エネルギー対策本部事務局長を務める。商人ではなくなったが、風力発電に対する思い入れは強い。特に浮体式風力発電所は日本が最先端技術を有しているため、政治がビジョンを示すことの大切さを説いている。いつまでに何基造るか、海域調査をいつまでに行うのか。方向性を示さない限り、産業は付いてこない。
50年カーボンニュートラル目標については「日本にとって大きなチャンス」だと捉えている。単に再エネの比率を高めるだけでなく、国力を高める、という発想が何よりも求められる。現在、日本は毎年約20兆円分の化石燃料を輸入している。これを最終的にゼロにし、エネルギー自給率を高めることができれば、コストの削減だけにとどまらず、最終的にはエネルギー「輸出国」になることだってできる。当然、国力も高まる。イノベーションを起こし続けることができれば、国の形は変えられる。そのための政策的努力は惜しまない。日本をもう一度輝く国にしたい。
特技は剣道。剣道六段で、全日本剣道連盟の顧問も務める。剣道は精神性を高めることができる武道だという。コロナ禍で道場が閉まっていた時にも、七段昇段を目指し、素振りや筋力トレーニングで技量を高めた。ストイックな性格は公私とも健在だ。




