【澤田哲生 エネルギーサイエンティスト】
東芝の原子力開発は久しく雌伏していたかに見えたが、ものづくりへの強い意志は変わっていなかった。
革新的な設計の軽水炉「iBR」により、BWR(沸騰水型軽水炉)の新たな地平を開こうとしている。
「iBR」の”i”には三つの意味が込められている。そこに、私には東芝の開発チームの意気込みが透けて見える気がした。Innovative(革新的)、intelligent(知的)、 inexpensive(安価)のトリプル”i”。”BR”はもちろん沸騰水型軽水炉のことである。
東芝が国産技術を駆使して高い安全性と高効率を追い求めたABWR(改良型沸騰水型軽水炉)に、「3.11」のシビアアクシデント(重大事故)から得た教訓を徹底的に反映し、熟考に熟考を重ね合理性を追究した。それがまさにintelligentたるゆえんであると知った。そうして出来上がったiBRの設計は、実にスマートなパッケージに仕上がっている。私がとりわけ刮目したのは、安全設計とテロ対策、いわゆる特定重大事故等対処施設(特重施設)である。
革新的安全性を追求した「iBR」の全体像
ベントの概念をなくす グレースピリオドを7日に
3.11の翌12日、時の菅直人首相が自衛隊のヘリコプターを駆って現地視察に乗り込んだ。そのためベント操作が遅れたことが、事故をより深刻な方向に導いたという説がある。真偽はさておき、人が介在する操作が必要だったためにベントが遅れたのではないかという論争が巻き起こった。
ならばいっそのこと、ベント弁を介した放射性物質の大気放出をなくしてしまえばいい。iBRでは仮に燃料損傷や炉心溶融のようなシビアアクシデントが発生したとしても、電気による動力や人の操作を介在しない静的なシステムによって、崩壊熱により発生した蒸気は格納容器建屋内のプールに導かれて熱交換器を介して冷却され、さらに粒子状の放射性物質は格納容器内に設置された静的なフィルターによって濾し取られ、ガス状の放射性物資は格納容器内に閉じ込められる。その結果、放射性物質が原子炉システムから大気中にベントされることはない。
これは3.11後に追加的に設置が義務付けられた「フィルター式ベント」のさらに先をいく安全対策である。つまりベントという概念そのものをなくしたのである。
また、万が一炉心溶融が起こり、溶融燃料が圧力容器底部を貫通して落下した場合には「コアキャッチャー」が受け止め、そこで冷やされる。格納容器内の下部に配置された十分な量の水を満々と蓄えた大型プール(サプレッションプール)の水が常々コアキャッチャー底部に流れ込んでいるので、溶融燃料は落下して時を置かずに冷却される。
このように静的あるいは受動的な安全対策が、従来よりも一層厚みを持ち、かつ多様で耐性の高いものとされている。その結果、事故発生後でも運転員の操作が不要で安全を確保できる期間(グレースピリオド)は7日間になったと評価されている。そして、万が一の重大事故時にも住民の緊急避難は不要で環境汚染を防止できるという。ここにiBRをインテリジェントとする一つ目の肝を見た。
格納容器は原子炉の安全確保の最後の砦といわれる。iBRは格納容器を二重円筒型にして衝撃を吸収しやすい構造で強靭化されている。既存の原子炉は一重である。さらに従来は航空機などの外部飛来物に対して脆弱であるとされた格納容器のドーム部(頭頂部の丸い部分)は鋼板コンクリート構造によって、外部飛来物の衝撃吸収能力を大幅に向上させている。
これらの結果、地震、津波などの甚大な自然現象への耐性を増しただけでなく、航空機などの飛来物の衝撃やテロ行為などへの強靭性を大幅に改善している。
3.11後に原子力発電所に設置が義務付けられた特重施設は、大型航空機の衝突やその他のテロリズムによって炉心損傷が発生する可能性に対して放射性物質の放出を抑制する施設である。実態はベールに包まれて不明であるが、一説によれば岩山をくり抜いて強大な冷却用プールを備えるなど、大げさな施設になっているという。そして、その費用は数千~5000億円にも達するとされる。
iBRの説明を聞いて、私は大ざっぱに見積もっても特重コストは現状の半分以下に合理化できるのではないかと思った。ここにiBRのもう一つのインテリジェントを見る思いがした。
2050年カーボンニュートラルを達成する上で、原子力はベースロード電源の役割を担う。しかし、現実は昼間の太陽光が大きな変動要因になって時に悪さをする。発電量が需要をオーバーしても大規模な停電が発生する。太陽光や風力は変動電源でしかなく、発電量を能動的に制御できない。
そこで求められるのが原子力発電の出力調整であろう。その点でもiBRは有利だという。BWRでは炉心への冷却材の流入は再循環ポンプによって制御している。それにより再循環流量の制御が容易であり、原子炉出力を大幅かつ短時間のうちに容易に調整できるという。iBRは再エネ変動電源が招く必要電力の超過分と不足分に対応できるフレキシビリティーが高いのである。
さまざまな角度から安全対策の厚みを持たせた設計
iBRという「翼」を得て 技術の東芝への期待
このように良いことずくめのiBRであるが、絵に描いた餅ではどうにもならない。ものづくりが実際に始まらないことには……。
私は東京工業大学で30余年、原子力の研究と教育に携わった。東工大のモットーは”工業”つまりviable(実行可能)なものづくりである。私は、工業は科学と技術の上にあると考えている。
ともすれば、やや朴訥で地味な東工大生に、研究と教育の現場を通じて、天性のものづくりへの情熱を見てきた。それはすなわち”愛”のなせる技だと思う。その東工大生がのぞむ就職先のトップクラスが東芝である。
さて今、原子力発電は再稼働が急がれ、運転延長に合理的な道筋が見えてきた。しかし、このままの調子では50年までにネットゼロを目指す目標は、比較的容易な電力部門さえ到底到達できない。
そのためにはiBRなどの大型炉の新設に今すぐ具体的に踏み出さなければならない。日本が頼りにできるのは原子力しかないのだから。それには、ファイナンスと原子力規制制度のハードルを越える必要がある。ファイナンスのためには、英国のRAB(規制資産ベース)モデルのような準総括原価方式が求められる。一方、原子力規制は推進・規制の間に真っ当な融和の道が開かなければ―。
私の実家には60年前の扇風機がある。東芝製である。まだ動く。かつて「サザエさん」は番組の冒頭で「明日をつくる技術の東芝がお送りします」と言っていた。東芝の原子力がiBRという翼を得て、ネットゼロの未来に向け胸を張って羽ばたくことに期待したい。
さわだ・てつお 1980年京都大学理学部物理学科卒。三菱総合研究所、ドイツ・カールスルーエ工学所客員研究員、東京工業大学助教などを経て2022年から現職。工学博士。専門は原子核工学。著書に『原子核工学入門』『やってはいけない原発ゼロ』など。