
中央官庁の官僚として農政に携わったのち、結婚を期に地方LPガス会社の経営に参画。
国会では農業とエネルギー政策の最適解を探し、地方創生に情熱を燃やす。
生まれ育ちは埼玉県だが、母の実家が北海道で農業を営んでいたこともあって農業に興味があった。また、高校時代にはアフリカの飢餓救済に向け、世界中のミュージシャンがキャンペーンを行った「Band Aid」の活動などをきっかけに、世界の食料問題にも関心を持つようになる。
進路は、「命の源は食料、そして農業。厳しい環境下でも生育可能な農作物を作ることに貢献したい」との思いで北海道大学農学部に進学。卒業後は、農林水産省に入省し、本省で経済局国際部や大臣官房に勤務したほか、経済企画庁や関東農政局、近畿農政局などに勤務。「官庁での仕事は忙しくもやりがいがありました」と振り返るように、時には国際交渉の場に立ち会うなど農政全般に携わった。
しかし、仕事を続ける中で、「農業政策に携われるとはいえ、自分が描く理想の農業と政府が進める方向の違いに悩んだり、自分をはじめ官僚の限界を感じたこともありました」と振り返る。
農水省には10年間務めたが、結婚を機に退官。夫の地元である山形県小国町への移住を決意する。夫の家業はLP販売会社の小国ガスエネルギー。これまでのキャリアとは全く無縁のLPガス業界に足を踏み入れた。小国町では商工会の会合や地域のイベントにも多数参加し、また自身もLPガスの各種資格を取得しながら事務・接客業務にも携わった。
こうした活動を行う中、「これまで、大規模偏重型の農業政策が続いたことで、地方の社会を支える小規模農家が圧迫される現実を見た。これは経済でも同じことが言えて、中小企業は苦境に立たされている。地方を創っているのは中小企業で、地元で頑張る方々の暮らしを支えたい」との思いが芽生えた。すると、地元政界関係者から「選挙に出ないか」との誘いがあり、2004年の参院選で民主党より山形選挙区から出馬するも落選。07年に同じ選挙区で再挑戦し、初当選を飾る。
09年には農水大臣政務官を経験したほか、12年に民主党を離党して「みどりの風」の共同代表なども務めた。現在は国民民主党に所属し、党の政務調査会長および農林水産調査会長を務めている。
LPガスは地域を支える大事な資源 地方にはエネルギーが眠っている
注力する政策課題は農業政策だ。「農業は地方の経済や雇用の受け皿であるだけでなく、治水や減災にもつながる」と、一次産業の発展がほかの産業の発展にも資すると主張する。
「LPガスは地域に根差した大事なエネルギー」と強調し、「電気や都市ガスと比べても災害からの復旧が早いし、分散型のエネルギーとして活用することもできる」と、LPガスのメリットを説明する。
会社経営に携わり、深く感じ入ったのが、「LPガス会社は地域を支える大事な企業である」という点だ。「私たちの仕事は燃料を売ることだけではなく、地域を見守るという役割も持っていると思う。軒先を回り、需要家と触れ合うのは一見非効率にも見えるが、地域をつなぐ意味でも大事なこと」
過去にも夫がLPガスの配達を行っているとき、郵便受けに大量の封筒などがたまっている家があった。もしやと思い宅内に上げさせてもらうと、体調を崩した需要家がいた、という経験もあったという。
「カーボンニュートラル化」が叫ばれる中、エネルギー業界にも脱炭素化の波が押し寄せ、LPガス業界でも難題に立ち向かおうとさまざまな取り組みがなされている。「設備の高効率化でCO2排出量を抑制することはもちろん、国としても研究開発投資を積極的に行い、既存の技術に新たな革新的な技術を加え、官民挙げて課題解決を図るべきだ。古河電工が家畜のふん尿からLPガスを精製する技術を開発したことは、循環型社会の一つのモデルになり得るのではないか」と語った。
また、政府は現在、再エネの拡大に向けて、内閣府にタスクフォースを設置し、営農をしながら農地の上に太陽光パネルを設置する、いわゆる「ソーラーシェアリング」の拡大に向けた課題について議論を進めている。
こうした動きについて、「農業用水路を使った小水力や、もみ殻を使ったバイオマス燃料など、農業とエネルギーは親和性が非常に高い存在。地方にはまだまだエネルギー源が眠っている」と評価する。だが一方で「農地は生産基盤であり、その根幹を壊さないことが重要。一定の要件を設けるなど、再エネと農業生産とのバランスをしっかりと取りながら行われるべきだ」と、慎重な議論を求めた。
座右の銘は「足を知る」。「無いものねだりからあるもの探しへ。知恵を絞り、調和を求めることが持続可能性にもつながる」との発想で課題解決に臨む。魅力ある地方や、さまざまな産業が交差する農業の実現に向けて、これからも日々情熱を燃やし続ける。