「北海道をより良くしたい」との思いで、経産官僚から北海道知事に転身。知事時代にはブラックアウトも経験。培った知見を還元すべく、舞台を国政に変えた。
たかはし・はるみ 1954年富山県富山市生まれ。76年一橋大学経済学部卒業後、通商産業省(当時)に入省。84年大西洋国際問題研究所研究員、2001年北海道経済産業局長、02年経済産業研修所長を経て、03年から北海道知事。19年7月に参院選に出馬し初当選。当選1回。
出身は富山県富山市。北陸地域で都市ガス事業を営む家庭に育った。「政治家志向はなかったですね」と振り返る高橋氏は、1976年に一橋大学経済学部を卒業すると、通商産業省(現経済産業省)に入省する。当時は度重なるオイルショックの経験から石油代替エネルギーへの転換を図っていた時期。一時、資源エネルギー庁にも身を置いた際には、関連法案の作成にも携わった。
その後はパリにある大西洋国際問題研究所の研究員、中小企業庁を経て、2001年には北海道経済産業局長に就き、北海道の地に立つ。夫の出生地であり、広がる大自然、豊かな観光資源など、ポテンシャルを秘めた北の大地に触れたことで「北海道をもっと元気にしたい」と、政治家への道を決心する。
03年4月に北海道知事選に出馬し、大混戦の中で当選。知事職を4期16年務め上げると、「これまで培ってきた知識、経験、人脈を役立てたい」との思いで、19年7月の参議院選挙で北海道選挙区から出馬。当選を果たし舞台を国政に変えた。
永田町では参院の予算委員会や経済産業委員会、資源エネルギーに関する調査会に所属。「コロナ禍で世の中は大きく変わっている。テレワークなどが浸透し始めており、人々の志向は大都市から地方へと明確に変わってきている。都心に住む人々の意見をキャッチし、人々の流れを地元に持っていくことが地方創生につながる」と、地方創生、スマート社会を構築する「Society 5.0」などのテーマにも強い関心を寄せる。しかし政府のデジタル化の遅れが深刻なため、こうしたニーズを遮るのではないかと問題意識を持っている。
「デジタル化を進めることは地方創生にもつながる。次世代通信規格の5Gの利用も始まったが、その先の『6G時代』も見据えた、一歩先の国家像を考えていく必要がある」
衝撃的だったブラックアウト バランスの取れた電源構成を痛感
知事時代には、北海道胆振東部地震により、道内の電力供給で大きな役割を担っていた苫東厚真発電所が停止。これに伴い系統の周波数が急落し、北海道全域が停電するブラックアウトが発生した。最大震度7の地震について「個人的にも衝撃だった。あの日のことは忘れられない」と、道政の責任者として、事態収束に向けて奔走した。
北海道の電力レジリエンスを担い、道内と本州の電力ネットワークをつなぐ「北本連系線」の増強についても、道民の負担が大きくならないよう道庁事務局と議論。再エネの宝庫である北海道の電源を本州に送るという方向性で議論を進め、全国で建設費用を負担するよう方向付けた。これについて、当時経産相だった世耕弘成氏と議論を交わしたという。
18年には関西地方において集中豪雨が発生し、翌19年には台風15・19号が東日本を襲った。このように頻発する大規模災害への対策として、6月に電気事業法、再生可能エネルギー特別措置法、石油天然ガス・金属鉱物資源機構法の3法を改正する、エネルギー供給強靭化法が国会で成立。これらが今後、重要な役割を果たすと期待している。
「胆振東部地震では、電気供給の根元である発電所が停止したが、昨年の台風15号における千葉の停電では、枝葉の部分である電柱や送電線が倒壊した。大型災害が頻発し、さまざまな対応が求められる中で、こうした法案が成立したのは喜ばしいこと」
太陽光、風力、バイオマスなど再エネ電源が多く立地する北海道で、重要な電源ではあるものの、「主力電源にするにも、再エネ適地の送電網は貧弱。課題解決に向けて、今後も技術研究を後押しする必要がある」と指摘。
一方で、数十年に一度の災害が頻発していることから「温暖化対策は待ったなしだ」と危機感を募らせる。「CO2排出を根本から止める技術の開発や、地域の理解と安全性の確保が大前提だが、原子力発電所の再稼働も含めて、安定供給を達成できるバランスの取れた電源構成を目指す必要がある」と話す。
政府は、発電効率が悪い旧式の石炭火力発電所のフェードアウトを目指すとの方針を打ち出した。しかし、石炭火力とともにベースロード電源である原子力発電の再稼働も進んでいない状況下での石炭火力停止は、安定供給の観点からやりきれない思いもあるそうだ。
「反対もあるが、資源の賦存状況や費用の安さのため、世界には石炭に頼らなければならない地域もある。国内の旧式設備を最新鋭の設備に置き換えること、日本が持つ最先端技術を新興国に提供することも必要な視点だ」
座右の銘は「何事も一生懸命にやる」。参議院議員となり約1年が経過したことについては「当然ながら違いは大きいが、毎日が楽しい」と、1年間を振り返る。明るい人柄で逆境をはねのけ、北海道のみならず日本全体を明るく導きたいと言う。