【リレーコラム】岩野宏/アジア太平洋研究所代表理事
新型コロナウイルスで、社会が揺れている。「コロナウイルスは熱に弱く、26〜27℃のお湯を飲むと殺菌効果がある」「深く息を吸って、10秒がまんすることができれば新型コロナには感染していない」など、落ち着いて考えればおかしいとすぐ分かるような言説がSNS上を飛び交い、一時はドラッグストアからトイレットペーパーが消え去った。
不安には、問題点が明らかな故の不安と、何も分かっていないが故の不安がある。現代はかつてのパンデミック時より医療技術が格段に進歩してはいるが、それでもコロナ禍は多分に後者の不安であろう。そもそもコロナ禍にとどまらず、およそ世の中は分からないことばかりだ。グローバル化で社会は複雑化し、米中対立はますます混迷の度合いを深めている。技術進歩は凄まじく、私は既に最新のSNSの動きから取り残されている。
他方、私たちが日々手にする情報は、この10年でも急速に増えている。『令和2年版情報通信白書』では、IPトラフィック(データ通信量)は2017年からの5年間で3倍に増えると予測している。それにもかかわらず、分からないことが増えている。
言葉を紡いで物事を考えることの重要性
かつて学校で習った教科書には、体系的に「正しい」ことが書かれていた(と思う)。しかし、今、ちまたに溢れる情報は、正しいのかどうか、主流の見解なのか亜流なのか分らない。ネットの情報はあまりに断片化されていて、私たちは刹那的な判断を求められる。
日常的には、それで問題はない。しかし、こうした断片的な情報を、その文脈や背景を考慮することなく、良い/悪い、好き/嫌いと峻別することの積み重ねが、世の中の分断といわれるものの一因になってはいないだろうか。世の中、そう単純に割り切れるものではない。地球環境と経済成長はいずれか一方を選択できるようなものではないにもかかわらず、環境派と成長派は互いに相容れない。
情報発信する側も同じ状況にある。ツイッターは140文字しか打てない。LINEの絵文字は見ていて楽しいが、絵文字を選ぶことで、私は言葉を紡いで自分の考えをまとめる努力を放棄している。
物事を単純化し、0/1に分けて整理するという思考法は決して誤りではない。しかし、0と1が重なり合うことはない。そして、多くの真実はその間にある。複雑化した現代においては、必死に言葉を紡いでそこを表現し、あるいはそこを考える努力を払い、お互いに重なり合えるところを見いだしていくことがますます重要になっていく。
次回は大阪大学特任教授の江村勝治さんです。