
復興副大臣として積極的に携わる、「福島イノベーション・コースト構想」。
国会議員唯一の水産学博士として、海洋プラごみ問題の解決にも尽力している。
生まれは北海道帯広市だが、大学入学までの少・青年期を過ごしたのは石狩町(現石狩市)。漁業者や多種多様な海産物が身近な環境で育ち、北海道大学水産学部に進学した。1990年4月、北海道庁に入庁し網走水産試験場に配属。多くの水産業者と関わりながら水産に関する知見を深めた。入庁後も水産学の勉学に励み、92年3月には水産学博士号も取得した。さらなる知識を求め、98年にはアメリカ海洋漁業局で在外研究を行う。
政治の道へ転向するきっかけは、意図しないものだった。親交があった地方議会議員から後任になってほしいと直々に指名があったのだ。周囲からの強い後押しもあり出馬した、2003年の北海道議会選挙で見事トップ当選を果たすと、4年後の2期目も当選。「地方の声の代弁者」として進出した国政でも、参院選に2期連続で当選した。その間数々の要職を歴任し、現在は復興副大臣として、被災地の復興政策などに関わっている。
周囲に推される形で進んだ政治の道は、途切れることなく今年で18年目を迎える。政治家として活動するようになってから特に大切にしてきたことの一つが、「一人一人の声に耳を傾けること」だ。
「人それぞれの考えや主張について、まずはしっかりと聞くことに務めてきた。自分の意見があっても、決して押し付けたりはしない」
政治家とはさまざまな人の声を聴き、社会をより良い方向に変えていく仕事であると考え、常に代弁者であることを心掛けてきた。そうした姿勢が周囲の信頼を集め、政治家として担う役割を大きくしていった。
被災地ならではの産業基盤構築へ 「海ごみ法」改正により脱プラも推進
現在は、福島県・浜通り地域を中心に新たな産業基盤の構築を目指す「福島イノベーション・コースト構想」に力を入れている。ロールモデルとしているのが、第二次大戦時「マンハッタン計画」のプルトニウム製造拠点となった米ワシントン州のハンフォード・サイトだ。当時の汚染水などのずさんな管理により、現在も環境再生事業が続いている。
それにもかかわらず、ハンフォード・サイトでは産業が活発で人口も増加している。各機関・団体が相互に協調しながら都市形成を推進し、住民との信頼関係が築かれているからだ。その要となるのが、環境再生事業などを主導する国立パシフィックノースウェスト研究所(PNNL)だ。横山氏もその成功例から学ぶべく、PNNLで最高科学者を務めた大西康夫氏と意見交換を重ねてきた。
「ハンフォード・サイトに倣い、司令塔として国際教育研究拠点の構築を目指している。そして、意見交換を通して浮かび上がってきた研究テーマの一つが『放射線化学』です」
今、世界中の放射線化学の研究者は福島第一原発に注目している。実験室では決して得られない材料が事故炉の中にあり、その物性を調べることが新たなイノベーションにつながる可能性があるからだ。
「悲惨な原発事故を反省し、二度と起こらないよう対策するのは当然です。しかし、ネガティブな部分だけに目を向けることが未来につながるわけではない」。国際教育研究拠点を通じ放射線化学を地域振興の材料にすることは大きな目標の一つであり、復興副大臣を退任した後もフォローを続けていくという。
もう一つ、積極的に関わっているのが「脱プラスチック(脱プラ)」だ。脱プラに関わるようになったきっかけは、山形県酒田市の飛島訪問だという。飛島は、海岸漂着物などの処理を推進する「海岸漂着物処理推進法(海ごみ法)」立法のきっかけとなった場所で、現在も大量のごみが漂着する。
脱プラに関する政策の一つの成果が、19年の「海ごみ法」改正だ。この改正により、回収が困難なマイクロプラスチックに関する規制が加わった。さらに「プラスチック資源循環戦略」や、「プラスチック資源循環促進法」閣議決定につながる流れも作った。
脱プラは世界的な課題の一つであり、G7やG20でも議題に上っている。しかし現状は、まともなごみの回収システムすらない発展途上国も多く存在する。
「日本は3Rのうちリユース、リサイクルに関しては世界でも進んでおり、廃棄物を焼却して得た熱エネルギーを回収するサーマルリカバリー(TR)についても他国にはない技術がある。脱プラや温暖化対策が全く進んでいない国に対していきなり3Rを求めるのは難しく、『その前段階としてのTRの提案』など、もっと国際社会でアピールしていく必要がある」と主張する。
途上国には燃やすしかないプラごみが大量に存在する現実がある。脱炭素社会という世界的目標のために、わが国の技術協力を促進し、途上国のエネルギー効率化やCO2削減に貢献していく構えだ。


