1995年の地震発生直後、都市ガス・LPガス業界は数々の工夫を凝らしながら復旧に向けて奮闘した。
震災から30年の節目が近づく今、この経験から得られた教訓と、その後の取り組みを振り返る。
【大阪ガス】
被災者から激励を受けることも
写真提供:大阪ガス
「想定していた規模を上回る地震に、受けた訓練の内容では対応できない部分も多かった」。大阪ガスの供給管理部に所属していた中嶋規之氏(41)は、阪神・淡路大震災に直面した経験をこう語る。1995年1月17日、震災発生当日の朝、始発電車で何とか大阪市淀屋橋の本社ビルに出社した中嶋氏は「西に向かい被害状況を確認せよ」との指示を受けた。兵庫県からの連絡が途絶え、被災の全容がつかめない中、携帯電話1台を抱え、車で現地へ向かった。大阪を抜け兵庫に入ると、景色は一変。がれきの山が視界に広がる中、現場に到着すると、ガスの匂いが立ちこめ、想像を絶する光景が目の前にあった。
阪神・淡路大震災では、兵庫県の神戸、西宮、芦屋、宝塚の各市と淡路島で国内観測史上初の震度7を記録。約24万棟の建物が全壊または半壊し、交通網やライフラインが寸断された。
当時、大阪ガスでは地震発生時に復旧担当するエリアを事前に決めており、復旧のめどが立ったエリアの職員から順次、未復旧エリアに応援に向かうというシナリオで訓練を行っていた。しかし、震災はそれが通用しないほどの規模で、特に兵庫および近隣エリアは自らの復旧対応で手一杯の状況だった。
震災発生からわずか6分後には本社対策本部が、当日の正午には今津事務所(西宮市)に現地対策本部が設置された。現地対策本部の役割は、被害状況の把握や具体的な復旧計画の立案に加え、行政機関やマスコミ対応、全国から駆け付けた応援隊を受け入れる組織編成まで多岐にわたった。現地対策本部に配属された中嶋氏は「当初は白紙の状態から組織を立ち上げた」と振り返る。
導管に侵入した水と泥は復旧作業を妨げた
被災者が大いに喜んだ仮設浴場設備
延べ21万4000人が集結 立ちはだかる泥と水
ガス供給源である泉北製造所(堺市・大阪府高石市)と姫路製造所(兵庫県姫路市)、ならびに約490kmに及ぶ高圧導管は無事だった。しかし、災害に強いポリエチレン(PE)管の普及が進んでいなかった低圧導管網の破損は深刻で、老朽化したねじ継手が寸断された。最終的に供給を停止したのは約85万7400戸。都市ガス事業始まって以来の規模だった。
供給停止には、被害状況に応じて部分的に停止可能な55の地域ブロックを活用した。停止したブロック内では、顧客3千~4千戸単位でさらに分割し、低圧導管の復旧作業が進められた。現地対策本部長の上林博氏(56)は「75年からの天然ガス転換時にブロックを分割して対応した経験と、当時設置した分割用のバルブがこの復旧作業を円滑に進めた」と語る。
復旧作業は85日間にわたり、大阪ガスの6000人に加え、全国の都市ガス事業者や日本ガス協会から最大時は3700人の応援隊が派遣された。延べ21万4000人が結集し、都市ガス事業者が一丸となって作業に当たった。
復旧で最も大きな障害は、ガス管内に入り込んだ水と泥だった。地震による水道管の破損や液状化現象で、大量の水や泥が広範囲にわたりガス管内に流れ込んでいた。現場の修繕状況を基に復旧計画などを作成した復旧隊の森田徹氏(32)は「現地対策本部から西に進むほど水道管の破損が多く、ガス管への水の流入被害が拡大していた」と述べる。
低圧導管の復旧では、各家庭のメーターのガス栓を閉じ、配管や設備を一軒ずつ確認する手順が採られた。内管修繕隊で応援隊の手配を担当した山口睦宏氏(33)は「閉栓依頼は全て紙で対応しており、膨大な顧客リストを参照しながら作業を進めるのに苦労した」と思い返す。兵庫エリアではピーク時に330班の応援隊が集まり、1日当たり300件ほどの閉栓依頼を各班に指示していたという。
そこで、本社対策本部は現場を考慮し、対応方針を変更。顧客リストの管理を取りやめ「目に付くガスメーター全てを閉める」という方針に切り替えた。さらに、閉栓したメーターには閉栓シールを貼る方法も採用し、一目で確認できるようにしたことで効率が飛躍的に向上した。
資機材の調達も一筋縄ではいかなかった。現場では低圧導管の被害が各地で発生し、資材対策隊による導管接続用のソケットの大量発注が相次いだ。資材対策隊の西浦克敏氏(25)は「資材の依頼がFAXで次々と届き、一日中資機材の発注に追われた」と述懐する。入社1年目だった西浦氏は、発注作業をこなしながら部品の役割や名称を覚え、「在庫がない場合は代替品を工夫して使うなど柔軟に対応した」と説明する。
2月下旬には、自治会や町内会を訪問し復旧見通しを説明する「顧客隊」が活動を開始。復旧状況の説明に加え、カセットコンロや仮設風呂・シャワーの設置や利用案内も行うなど、住民の立場に立った企画も進めた。顧客隊で現場スタッフを手配した三浦一郎氏(32)は「長時間待たせたはずの住民から感謝の言葉をもらい、現場に向かった隊員が涙を流して戻ってきた」と回想する。
緊張感漂う現地対策本部内(兵庫県西宮市)
現場では臨機応変に対応した
阪神以降の対策が効果発揮 一層の強靭化が進行中
大震災を機に、業界は地震対策を強化した。ガス導管事業を承継した大阪ガスネットワークでは、供給停止する範囲を抑えるためにさらなる供給ブロックの細分化を図り、当時の55ブロックから現在は727ブロックに分割。被害のないブロックは供給を継続するとともに、供給停止ブロックを最小限に抑えることで早期復旧につなげる。
加えて、低圧導管網にはPE管を積極的に導入し、新設低圧管には原則PE管を全数採用。PE管は震災時の約1200kmから約1万8300kmに延長し、耐震性が大幅に向上した。
こうした取り組みが功を奏し、2018年6月、大阪府高槻市などで最大震度6弱を記録した大阪府北部地震では、発災から1週間で完全復旧することができた。
阪神・淡路大震災は都市ガス業界にとって未曾有の大災害であったが、多くの教訓を得ることとなった。30年を経た今、この経験を糧に業界は前進を続け、さらなる強靭化を追求している。
多くの応援隊が駆け付けた