1985年、サウジアラビアの市場連動価格方式への転換により、市場本位の体制が確立した。
シェール革命で需給安定も米国の政策に中東は反発。日本の取るべき道は何か。
小山正篤/石油市場アナリスト
1970年代の2回にわたる石油危機は、国際石油価格を中東およびOPEC産油国の支配下に置いた。しかし、高価格下に世界中で代替供給と需要の省・脱石油が強く促された結果、ついに85年末にサウジアラビアが市場連動価格方式へと転換。以後2000年代初頭まで続く価格低位安定期への道を開いた。
1980年代前半、サウジアラビアの石油生産は実に日量700万バレル減少した。人為的な固定価格維持の代価はあまりにも大きく、特に石油需要に与えた影響は衝撃的だった。輸送燃料および石油化学向けなどの原料用途を除けば、世界石油需要量は79年に天井を打ち、その成長は不可逆的に止まったのだ。
このサウジアラビアの方針転換が、今に続く市場本位の石油供給の出発点となった。しかしこれが真に体制として定着したのは、90~91年の第一次湾岸危機を経てからである。
シェール革命で需給安定も 米単独主義が政策かく乱
力による石油支配を企てたサダム・フセインはクウェートを侵略。これを退けた過程で、米国の外交・安全保障能力、サウジアラビア原油生産余力の機動的活用、および西側石油消費国の協調的備蓄放出を3本柱として、市場本位の開かれた国際石油供給を維持する体制が確立した。
かつて厳しい対抗関係にあった産油国と石油消費国とが、国際石油秩序維持の共通目的で協働する関係がここに成立した。
2000年代後半以降は、新興諸国の需要増などにより、国際原油価格は再び上昇に転じることとなった。サウジアラビアの石油生産も80年当時の水準に回復。いわゆる100ドル原油時代を迎えたが、米国での「シェール革命」による劇的増産によって、10年代半ばには終息に向かった。
実体需給のひっ迫傾向を反映して国際価格が適切に上昇し、これが画期的な技術革新を促し、安定した需給構造を新たに生み出したもので、市場本位の秩序の成果と言えるだろう。
しかし03年の対イラク戦争以降、米国の外交・軍事行動は特に中東地域において著しく単独主義に傾いた。地域秩序をかく乱し続けている。米国が産油国として台頭するにつれ、その対中東政策はむしろ粗暴化した。その反射として、サウジアラビアの外交も自立性を強める。
そして今、資源大国・ロシアのウクライナ侵略に正面から対抗する上で、日本を含む西側諸国は国際石油秩序維持を図る基本的な政策枠組みを確認・明示し、これをサウジアラビアと共有する必要がある。
半世紀前の石油危機は「油断」と呼ばれた。目先の価格変動に一喜一憂せず、石油政策を基本に戻って立て直し、備えを怠らぬよう努めるべき時である。危機の可能性から目を背けるのが最も危うい、と半世紀の経験は教える。