【Jパワー】
三島由紀夫が「超絶的な自然」と評した秘境で、60年前に産声を上げた奥只見発電所。電気の安定供給と地域との共生を続けてきたJパワーの挑戦はこれからも続く。
総貯水量6億100万㎥、堤体高さ157m、使用したコンクリート量163万㎥―。日本最大の重力式コンクリートダム「奥只見発電所」が60周年を迎えた。
ダムは福島・新潟県にまたがる奥只見湖を形成し、発電所は尾瀬湿原や越後山脈の豊かな雪解け水を力の源として、関東・東北地方に電力を供給し続けている。明治時代から只見川のポテンシャルに関心を寄せる事業者は多かったというが、実際に計画が動き出したのは昭和に入り戦後のこと。建設で最大の障壁となったのが、小出や浦佐といった市街地ですら2m、ダム周辺では3~5mも積もる豪雪。発電所の歴史は、雪と向き合ってきた歴史と言っても過言ではない。
「超絶的な自然」―。奥只見地域の大自然を文豪・三島由紀夫は小説の中でこう評した。市街地の小出地区から建設現場まで、発電所建設前に大量の資材を運ぶルートを築かなければならず、その急峻な山をいくつも越える必要があった。はじめの一歩は資材を搬入する道路工事から始まった。
現場へのルートは、冬季も通行できるよう道路の総延長22㎞のうちトンネル部が18㎞を占めるという独特な構造。この難工事は1954年12月から始まったが、わずか3年弱で完成。現在は新潟県に移譲し、奥只見シルバーラインと名前を変え、ダムや観光地に向かう貴重な交通路として重宝されている。
道路整備後の58年9月より発電所の本工事がスタートし、完成までには延べ数百万人もの労働者が携わった。復興と経済成長の中で早急な電力供給が求められていたため、雪が降りしきる12月中も、コンクリートの凍結を防ぐべく躯体表面に蒸気を当てながら工事を続けた。
こうした努力の甲斐もあり、本工事は約3年で終了。60年12月より、3基36万kWのうち24万kWが運転を開始し、翌年7月より全基が稼働。電力不足を解消し、戦後の経済成長を支えてきた。
冬季はヘリコプターも活用 環境と共生した施工管理
2003年には、出力20万kWの4号機と、河川水量を維持するための放流水を利用して発電する維持流量発電機を増設したため、総出力は56万2800kWにアップ。揚水式を除いた一般水力では日本一の出力規模を誇っている。
深山の同地はイヌワシの生息地であり、貴重な昆虫や植物も生息していて、地元からは釣りの名所として生態系保全の要請も強かった。このため、増設工事の際には、建設工事で日本初のISO14001認証による環境管理を行いながら施工するなど、先進的な環境対策も実施。現在も、景観を崩さないように機材の塗り替えを行い、猛禽類の専門家を招いてイヌワシの生息状況を確認するなど、地域の環境保全にも力を入れ続けている。
そんな日本有数の規模を誇る奥只見発電所周囲には、大津岐、大鳥、田子倉や、信濃川水系の黒又川、破間川などの発電所もある。これらは、埼玉県川越市にある東地域制御所で遠隔制御されている。
とはいえ日常の保守・点検については、JR上越線の小出駅近くにある事務所から各発電所に赴かなければならない。さらに、積雪期においては、奥只見発電所までは冬季閉鎖されるシルバーラインを自社で除雪して移動できるものの、さらに奥地にある大津岐発電所などへは車で移動することすらできない。
そのため、冬季になると同社ではヘリコプターとエンジニアを常駐させ、空路で現地まで赴く。しかし、山の天気は変わりやすいだけに、天候の影響で予定通り点検に行けないケースや、現地に到着してから天候の変化が起きた場合、現地にとどまり休憩施設で朝を迎えることもある。技術が進歩した現在でも、奥只見の冬は過酷だ。