首相の「カーボンニュートラル宣言」で、滞っていたエネルギー政策が一気に動き出そうとしている。菅政権はこの絶好の機会を利用し、いよいよ原発問題に真正面から向き合うことができるのか。
菅義偉首相は就任後初の所信表明演説で、国内の温室効果ガスの排出を2050年までに実質ゼロとする「カーボンニュートラル」を目指す方針を表明した。国内では驚きを持って受け取られ、海外からは称賛の声が相次いだ。
初の所信表明の目玉として大きなインパクトを与える狙いは成功した。だが、カーボンニュートラル宣言は安倍晋三政権時から着々と準備していた構想であるとともに、その安倍政権が手付かずだった原子力発電所の稼働を推進することとセットだという見方が浮上している。
安倍政権時に政府は温室効果ガスの排出量を「50年に80%削減」と長期戦略で位置付けていた。今回のカーボンニュートラル宣言は従来の方針を転換して、CO2やメタンなどの温室効果ガス排出量を、森林吸収や排出量取引などで吸収される量を差し引いて全体としてゼロにするというものだ。
菅首相は以前から気候変動問題に熱心だった形跡はない。安倍政権の官房長官時代は、温室効果ガスを大量に排出する石炭火力発電の輸出について「日本の石炭火力は効率がいいんだろ」と言い放ち、輸出を止めたい勢力を一蹴したぐらいだ。「気候変動対策と経済成長がつながるという理屈が腑に落ちていない」(政府関係者)という程度の認識だった。
首相の方針転換に公明党の影 国際社会へのアピールに利用
その菅首相が方針転換した背景には、蜜月とされる公明党の存在が大きい。
9月中旬。公明党の支持母体である創価学会の幹部らが都内で会合を開いていた。学会幹部の携帯電話に菅首相が直電した。学会幹部は菅首相の電話に学会内に気候変動対策を訴える声が多いと話し、新たに結ぶ自公合意の項目に脱炭素戦略の文言を入れるよう進言した。菅首相は政権運営を円滑にするために忠実に応え、自公合意文書に項目を追加したのだ。
菅首相は持ち前のスピード感を発揮して、首相就任直後の9月27日、経済産業省参与の水野弘道氏と会談した。水野氏は年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の元理事だが、金融マン時代に培った欧米人脈に通じて、ここ数年欧州で広がる先鋭的な気候変動対策を訴える人物の一人だ。小泉進次郎環境相も水野氏の影響を大きく受けている。
水野氏は菅首相との会談で政策提言をした。「産業界、省庁間で既に50年ネットゼロ目標に表立って反対する勢力もない」「日本が中国より10年早い目標を立てるのは不可能ではなく、しかも表明した瞬間に、菅総理の名前が国連や国際社会で知られることになる」という具合だ。
菅首相は首相就任前から何かと外交に弱い、国際社会に知名度がないとの悪評判が立っていたが、そんなイメージを払拭するチャンスと捉えたのだ。菅首相は10月初旬に経産省と環境省の幹部と面談した後、すぐさま和泉洋人補佐官にカーボンニュートラル宣言をするよう命じた。
ここまで見ると、菅首相の決断でカーボンニュートラル宣言が出されたかのように錯覚するが、実際は安倍政権当時から政府内では水面下で調整が続けられていた。新型コロナウイルスの感染が拡大した今年春以降も着々と準備は進んでいた。
当初、経産省が描いていた案は米大統領選挙の結果が出る12月以降に発表するという段取りだった。実際、安倍政権末期には未来投資会議(現在は成長戦略会議)で、「50年カーボンニュートラル」が議題に挙がる可能性もあったほどだ。
党内に推進本部設置 二階派が主導権握る意味
うに、政権は次の一手を打ち始めた。
11月4日、自民党は50年カーボンニュートラルを実現するため、党内に「50年カーボンニュートラル実現推進本部」を新設した。本部長には二階俊博幹事長が就いたが、実動部隊は福井照衆院議員、伊藤忠彦衆院議員、福山守参院議員と、全て二階派で占められている。
知性派の福井氏、伊藤、福山両氏はそれぞれ環境副大臣、環境政務官経験者だけに気候変動対策にはもってこいの人選だが、そもそも推進本部の設置は突如官邸から降ってきたのだという。ある事情通は「二階幹事長は政務調査会に下ろさず、すべて自分の一存で決めてしまった」と語る。
これは何を意味するのか。二階幹事長は政権を支えているのは自分だという意識があると言われているが、実は原発推進のためだという声も上がる。
「二階さんは関西電力との関係や経産大臣の歴任などで、原発には一定の理解がある。温室効果ガス排出量の8割がエネルギー起源。ゼロを目指すには原発の稼働がないと苦しい。原発の議論を後押しするためにつくられた機関だと考えられる」(前出の事情通)
世間には、いまだ東京電力福島第一原発事故の後遺症が残り、世論も原発稼働に反発する向きが強い。50年カーボンニュートラルは格好の隠れみのになるというのだ。安倍政権時代、政権が言いづらいことを党に背負わせるという図式があったが、菅政権になっても変わっていない。
国土強靱化を二階派が利権を漁ったように、大きな利権となる再エネ利権を新たな二階派の食いぶちにするという見方もあるが、原発推進の議論に影響力を持つとの見方も絶えないある政府関係者は「世論の動向次第だが、50年カーボンニュートラルという国際公約を実現するためには原発の稼働を拡げることはやむを得ないという議論に収斂させていくのではないか」と予言する。
凍結していた原発稼働の議論が気候変動対策の促進によって解禁されるというなんとも皮肉な話だ。菅政権が安倍政権との鮮明な違いを見せられるかは、国際社会での知名度ではなく、原発問題に真正面から対峙できるかどうかにかかっている。